2月の記事一覧
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2月の記事
表情解析欄をみると、薄青色の棒グラフ「高級感、静的、優雅さ、安定感、信頼感、充実感」が5本立っているだけで、イメージに質の違いを示す別色の青グラフは1本もない。
画像をクリックすると大きくなります。 このことは、このネーミングがウイスキーが本質的にもっている「高級感や夢幻性、優雅感」などをストレートに表現しようとしたものであることを示している。
「ウイスキー」を表現する場合、これらのほかにも「都会感、現代感、西欧的、鋭さ、新奇さ」などを加えたくなるが、多くのことを取り入れればウイスキーの本質がぼやけてしまう。
それを嫌って純粋性のみを追った作品といってよいだろう。
それを裏付けるように、情緒解析欄では「情緒性、夢幻性、人肌の温もり感、孤高感、寂しさ、存在感」などを捉えているし、コンセプトバリュー欄(省略)では「男女とも中高年者が愛する語」の表示が出ている。
先日研究所を訪ねてきた女性に、私はこんな質問をした。
「貴女は、翡翠という宝石にどんなイメージを抱きますか」。
ややあって彼女から、次のような返事がきた。
「@爽やかで、A純粋で B高尚・・・C情緒があって、D鋭さと E賑やかさ・・・それにF庶民的でしょうか」
そこで予め取り出してある分析表をお見せした。
「貴女が感じたものを、コンピューターは表情解析欄で「爽やかさ(@)、高尚さ(B)、鋭さ(D)」を、情緒解析欄で「情緒的(C)、純粋さ(A)を捉えています。
貴女は多くのものを取り出しましたが、分析表に出てないものとして「賑やかさ」(E)と「庶民的」(F)がありますが、これはどんなイメージで捉えたのですか」
○「亡くなった母の好きな宝石だったので、翡翠と聞くと母のことが浮かぶのです」
×「それらが分析表に出てないのは、誰もが感じるものではなく貴女の個人的なイメージだからです。
次に、貴女はたくさんの正解を上げ、優れたことば感覚をお持ちであるのがわかるのすが、分析表では貴女が捉えたもの以外に次のようなたくさんのものを取り出しています。
表情語欄では・・・・・シンプル感、軽やかさ、清潔感、暖かさ、明るさ、高級感、溌剌さ、個性的、都会的・・・
があるし
情緒解析欄では・・・穏やかさ、クラシイク感、不透明感、神秘的、哀感、孤高感、寂しさ。大らかさ・・・
があります。
これらのすべてが「ヒスイ」という音に抱く、日本人の平均的な感性なのです。そこに誰もがまだ手がけていない音相の世界があるのです。
当研究所が発表した音相理論の一部を使い、それに個人の好みや主観を入れたものを世界で始めて開発した理論だといって、姓名やことばの評論をする人がいる。
「怪獣の名にガ行音が多いのは、子供がガ行音を好むからだ」などと自己流の理屈を押し付けてくる本もある。だがこの音は「暗く、重たいイメージ」を伝える反面を持っているから、子供には不気味さを感じる音であり、怪獣の名に多いのは、そのおどろおどろしさで子供の気を引こうとしているだけのものなのだ。
まじり合ひて 濁らぬ泡や 冬泉
という句を、著名な俳句作家が新聞の俳句欄で次のように「評」していた。
「前半にある濁音が、この句から清澄な印象を奪ってしまった」と。
この句はたしかに清澄感の表現に欠けるが、何より大きな原因として次の3つをあげなければならないはずだ。
@ 暗く淀んだイメ−ジを作る有声音(声帯を振動させて出す音)が異常に多いこと。
日常語の場合、有声音を使う割合は音節数(拍数)の60%ぐらいが標準で、残りは無声音(爽やかさや軽さを作る)だが、この句の場合、「て」を除く17音(94%)が有声音であることだ。
A 清澄感の表現に欠かせられない無声摩擦音(サ行、ハ行音とその拗音)が極度に少ないこと。
この句の雰囲気で見るかぎり、無声摩擦音は3音ぐらいあってよいのだが、それが「ふ」1音しかないことだ。
B 濁音が少ないこと。
清透感を作る場合、無声摩擦音が少ないときは、それを引き立たせるため反対イメージを作る「濁音」を多用する「他援効果」の手法があるが、この句では濁音が少ないため、そういう効果も生まれていない。
評者が指摘する「前半の濁音が清澄感を乱した」はどう考えても見当はずれというほかないようだ。
ことばの音のイメージを具体的に説いた理論や技術がこれまでになかったため、専門家といわれる人が、個人の主観や好みを客観性があるかのように説く人が最近増えているように思われる。
カタカナ書きされた外国語風のネーミングを、一般の人々はどんなイメージで見ているのだろうか。
それを明らかにすることは、日本人の音の好みやフィーリングを知る上で、大事なことのように思われる。
外国語に特別なじみを持たない人が、ある外国語に接したとき、初めにカタカナ書きした音韻に読み変えるが、それがその語の第一印象となる。
そのようなイメージを積みあげてゆくことで、外国語に対しいつの間にか「好感の持てる音」や「持てない音」を身につけてゆく。
そのようにして日本人が捉えた「好感の持てない音」というのを拾ってみた。
@ 息の長い語を好まない。
英語、ドイツ語、ロシア語など閉音節の言語(注1)では、音の抑揚(メロディー)を大事にするから文や語の長さのことはあまり気にしない。
だが、開音節語(注2)の日本語は、「拍」が中心でできているため、音数律が発達したが、音数律は五、七、五、七、七のように、7拍止まりでできており、それ以上息の長いことばを好まない。
したがって、カタカナ書きするネーミングの場合7拍以下で止める方が無難といえるのだ。
(注1) 閉音節語とは、子音で終わる音節の多い言語をいう。
(注2) 開音節語とは、子音の後に母音が来る音節(拍)が多い言語をいう。
A 語末の長音カットを好まない。
新聞の社会面に出ている単語の語末拍を調べたら、814語中215語(26%)が長音で終わっていた(小著「日本語の音相」第2部第3章3、(3)長音 77ページ参照)。
それは、開音節語の日本語では、長音が語末にくると語に余韻や安定感が生まれるからである。日本人には潜在的に、「K・M」は「ケーエム」より「エムケー」の方を好む美的感覚を持っている。
そういう音の好みから外国語をカタカナ書きするとき、これまで語末の長音を生かす気配りをしていたが、最近では物珍しさを好む風潮からか、語末の長音をカットする傾向が増えている。
【語末の長音をカットした例】
データ(データー)、 シアタ(シアター)、 コンピュータ(コンピューター)、 センタ(センター)、 モニタ(モニター)。
その他
トリニテイ 工業、 徳陽シテイ 銀行、 日本ナレッジインダストリ、 エヌ・テイ・テイ ・・・
だが長音をカットしない「コピー、フリー、ブローカー、ウォーター、カー、セーター」のような語の方が圧倒的に数は多い。
カットする語としない語の間に理論やルールがあるのでなく、これは個人的な好みにすぎないのだ。
語末の長音をカットした語は、発音しにくく、聞いていて納まりが悪いから、日常の会話でデータ、エヌ・ティ・ティなどという人はいない。
アナウンサーが放送原稿を「データ、コンピュータ」などと言いにくそうに読んでいるのを聞いていると、世の中、何かが狂っていると思わざるを得ないのだ。
B 新子音を好まない。
新子音とは、外国語の音韻が多量にはいってきた第2次大戦以後、日本語で多く使われるようになった音をいう。
「ヴァ行音、ファ行音、ティ、トゥ 、ディ、ドゥ音」や、これらの拗音がある。
新子音には、西欧風のモダンさやイマ風のイメージがあるため最近好んで使われるが、「言いにくい」ばかりでなく、「よそよそしさ」や「キザな感じ」を作る音でもある。
千数百年前に入った「きゃ」「ぎょ」などの「拗音」を今でも使いたがらない傾向があるのを見ても、新子音を誰もが自然に使うようになるには、夢のような長年月がかかると考えてよいのではなかろうか。
以上、日本人が外国語の音韻に抵抗感をおぼえる3つのことを取り上げてみた。
したがって、これらはなるべく使用を避ける方が無難といえるが、ことばの中にはこのような抵抗感を逆用してすぐれた効果を上げている場合があるのも忘れてならないことである。
「ジョンソン・アンド・ジョンソン」や「ストラディバリウス」のように、長拍化することで存在感や奥行き感を作ったり、「フェラガモ」「ティファニー」のように言いにくさを逆用してエキゾティシズムを表すなどがその例だ。
ネーミングの良し悪しは、企業の浮沈にかかわることが多いから、その制作には多数の関係者が動員され、長期にわたる作業となる。
そのような取り組みは、「大勢を集めれば、良い知恵も多く出るはず」という常識論から出たものだ。
だがネーミングの作業では多数を集めれば良いものができるという理屈は当たらない。
多数の人の意見を入れると、発案者が捉えたみずみずしい感動や新鮮さなどは、手もなく捨てられてしまうのだ。
ネーミングの作業において多数の人の知恵や知識が有効なのは、素案を作る段階だけと考えてよい。素案を考える人は多ければ多いほど切り口が増え表現法も多くなるからだ。
だが、集めた案を絞りこむという何より大事な作業になると、幅広い商品知識を持つ人と優れたことば感覚をもつ少数者で行う方がはるかに良い結果を得られるのだ。
大企業が時間をかけて作ったものより、社長以下数名の小企業が短期間で作ったものの方に良い作品が多いといわれる理由がそこにある。
大ヒットしたミニカー「チョロQ」という名がどんな経緯で生まれたかは不明だが、私はこのネーミングに対し、優れた少数者の感性と優れた決定者の存在を感じるのだ。
この語をもし多勢で議論をしたら「小さいことを表すためミニをつけたらどうか」とか「わが社の同種の商品に○○A、○○Bがあるから、QよりCにしたらどうか」など低次元の議論に揉まれるうち、原案者が直感で捉えたものなどはあっさり消えてしまうのだ。
Q ことばの分析表には、表情語のポイント数が全体的に高い語と、おしなべて低い語とがあるようですが、音相的には高い語の方が優れたことばと考えてよいのでしょうか。(Smiles)
A 表情解析欄にでているポイント数は、その語の表情の方向性と、表情語間の量的関係を見るものですから、他の語とのポイント数と比較してもほとんど意味はありません。
しかしながら、ポイント数が全体的に高い語は表情のはっきりしたイメージの単純な語といえますし、ポイント数が全体に低い語は、1つ1つの表情語が反対の表情要素に抑えられたため低いのですから、優雅で奥行きのある語という見方ができるのです。
昨年の暮れ、スズキ(株)が軽ワゴンの新車「ウィット」を売り出した。
「スタイリッシュなエクステリアと上質なインテリア」が、このクルマの主なコンセプトのようである。
「ウィット」という音が伝えるイメージが、このコンセプトをどの程度表現しているかを見てみようと、音相分析を行ってみた。
表情解析欄から「動的、溌剌さ、鋭さ、現代的、シンプル感、軽快感、合理性、庶民性、特殊性(D.G.L.H.AJ.M.K項)など、この語の音がクルマらしい表情を捉えていることや、コンセプトバリュー欄から男女両性の若者に好感がもたれる語であること、スピード感やコンパクト感を表る語であることなどが明らかになる。
そのようなイメージはこの語のどこから生まれるのか。
それは「表情検出欄」の次の項から捉えられる。
・「やや明るく強い音価(+B1.2 H3.8)」
・「音の数が、3拍と少い」
・「逆接拍が標準よりはるかに多い」
以上から、このネーミングが優れたものであることがわかるが、やや気になる個所もなくはない。
制作時におけるコンセプトを知らない門外者が軽々に論じることはできないが、居住性やエクステリアに大きなポイントがあるのであれば、「優雅感」「高級感」(R.S項)など高尚さやソフトな雰囲気を作る表情語が今少し高位であってもよかったのではなかろうか。
[ウイット]が出たついでに、社名「スズキ」を取り上げてみた。
「スズキ」は、日本人にはもっとも多い姓であり、日ごろ聞き慣れていることばだが、クルマの製造会社名としての「スズキ」には、不思議と新鮮なものが感じられる。
それは、この音がクルマをイメージさせるにふさわしい音相をもっているからだ。
それを具体的にご理解いただくため、音相分析を行ってみた。
表情解析欄を見ると、車を表現するのに必要な「高級感」と「スピード感」を表わす次の表情語を高点で捉えているのがわかる。
「高級感」に必要な表情語・・・「非活性的、安定感、高級感、安らぎ感、優雅さ」
「スピード感」に必要な表情語・・・「爽やかさ、シンプル感、強さ、個性的、明るさ、溌剌さ、現代感」
スズキという音の響きが、「クルマ」のイメージを捉えているのがよくわかるのだ。
人の姓が入った社名は数多いが、社名に入れて効果のある姓と、効果の上がらぬ姓があり、それが会社に対する人々の親近感と無意識的に?がるものであることをこの例が教えている。
「言いにくいことば」を分析すると、言いにくさは同じ種類の調音種を連用したときに多く発生することがわかる。
「早口ことば」の例でそれを見てみよう。
「隣の客はよく柿喰う客」ということばは「ク、カ、キ、ク」と破裂音が4連続するため、この部分を発音すると舌や口辺の筋肉がもつれて「言いにくさ」が生じるのだ。
言いにくさがあると音の流れがぎこちなくなり、イメージが乱れて感じの悪いことばになる。
新しい社名を決めるとき、「○○株式会社か、株式会社○○か」が必ず議論になるが、これを決めるときも同じ配慮が必要となる。
ネーミングを、意味だけで考える人はどちらでもよいと思うだろうが、大衆がことばの「音」に機敏に反応するようになった今では、これは大きなポイントとなる。
「株式会社」という語は、はじめに破裂音「カブ」の2連続があるため、「大久保株式会社」にすると、「ク、ボ、カ、ブ」と破裂音が四連続して言いにくいが、「株式会社大久保」にすれば破裂音は2連続で終わるから音の流れはスムーズになる。
また、「株式会社ハヤミ」では「シャ、ハ、ヤ」で摩擦音が3連続するため言いにくいが、「ハヤミ株式会社」にすれば「ミ」が鼻音であるため言いにくさが解消する。
このような研究はまだどこでも行なわれていないが、民衆の語音感覚が発達した現代では、真剣に考えなければならない課題である。
「ことばの音の良し悪し」は、誰が何を基準に決めるのか。
これはことばを評価する場合など、明らかにしておかねばならない課題である。
いつの時代にも、人はよりよい表現や新しいニュアンスのことばを入れて言語生活を豊かにしようと工夫する。そして在来の語と新語を比べより良い方が生き残り、劣る方は衰退する。
このような取捨選択は、一部の学識者などが行なうのでなく、ことばの中で暮らしている一般大衆の平均的な感性で行なわれるのだ。
そこで「大衆の平均的感性」とは何かを考えてみよう。
同じ言語を使う人たちが、あることばの音に対してい抱くイメ−ジは、人によって異なる部分もあるが、多くの部分は共通する。その違いの部分を取り去ったのが「平均的感性」なのである。
それはその語に対する客観性の高いイメージといってよいだろう。
流行語や新語が生まれたり消えたりするのは、大衆の平均的な感性の作用によるものなのだ。
だが特記すべきは、ことばのイメージ評価に関する限り、大衆がこれまでそのようにして行なってきた選択にはほとんど狂いがなかったことである。
それは、ことばとともに現実を生き、さまざまな角度でことばを見てきた大衆の集合的英知といってよいだろう。
さて大衆の平均的感性では、どういうものを「優れた音のことば」と見るのだろうか。
それは、音の流れが美しく耳ざわりのよい音で在るのも1つだが、語が持つ意味や内容にふさわしい音で表現した語でなければならないのだ。
物がぎこちなくぶつかる状態をいう「ごつごつ」ということばには、誰もが「ぎくしゃくした音の響き」を感じるし、汚水が流れ淀む「どぶ」には暗く重たい響きを感じるが、これらはどちらも意味や実態にふさわしい音を持っているから優れたことばといえるのだ。
もし「ごつごつ」が滑らかな意味を持ち、「どぶ」が清流を意味する語であったなら、意味と語音とがチグハグな、印象にも記憶にも残りにくい良くない語という評価になるのである。
音相の良し悪しや、新語を選ぶ判断は、こういうカラクリで行われている。
『類語辞典』(東京堂版)で「清酒」の項を引くと、その類義語として「澄酒、瀝酒、醇酒、清醇、醇醪、澄み酒、日本酒」が出ている。
どの語もみな、ある時代に使われたことばだろうが、この中で今でも残っているのは「清酒」と「日本酒」だけになっている。
なぜこの2語だけが残ったのか。
それは「酒」をあらわすのに必要なコンセプトである「味わい深さ」と「爽やかさ」を表わすのに必要な無声摩擦音(サ行・ハ行音)が、次表のように「清酒」と「日本酒」に最も多いからである。
表 「酒」の類義語に含まれている無声摩擦音の比較」
清酒(せ−しゅ) 2音 澄酒(ちょーしゅ) 1音
瀝酒(れきしゅ) 1音 醇酒(じゅんしゅ) 1音
清醇(せーじゅん)1音 醇醪(じゅんこー) 0
澄み酒(すみざけ)1音 日本酒(にほんしゅ) 2音
人々は意味や内容にふさわしい音を持つ語を「優れたことば」と感じるから、意味の上では陳腐化している「飛行機(飛んで行く機械)、野球(野の球)、電車(電気の車)、自転車(自分で転がす車)」のような素朴幼稚なことばでも、音が良いため今も愛用されているのである。
日本語が、日本語らしい味わいを作っている要素の1つに、膠着語(注参照)という言語構造がある。(注参照)
膠着語とは、意味を持つ「語幹」の前後に、それ自体では独立した意味をもたない「接辞」をつけて意味を微妙に変形する語法のことで、古くからこの手法が日本語で大きな役割を果たしてきた。
源氏物語に「にほひやかげさ」ということばがある。
「にほひ」(匂い)が語幹、「やか」「げ」「さ」がいずれも接尾辞だが、個々の接尾辞を辞書で引くと次のように書かれてある。(旺文社『古語辞典』)
・にほひ・・・?色が美しく映えること ?つやのある美しさ ?かおり ?風情、気品
・やか・・・・・?〜の状態
・げ・・・・・・ ?〜のようすである ?〜らしくみえる ?〜らしい
・さ・・・・・・・?程度、状態を表わす
すなわち「にほひやかげさ」を直訳すると、「美しく映える状態のように見える程度」のようなことになる。
「にほひやか」だけでも意味はそれなりに伝わるが、それに接尾辞「げ」と「さ」を加えることでさらに深みや厚みのあるものが伝わってくるのがわかるのだ。
源氏物語では、ほかにも「ものこころぼそげ」(何となく心細そうな様子)、「なまこころづきなし」(何となく気にいらない)など、多くの例がある。
学者の調査によると、紫式部が源氏物語で使った語彙の数は、その600年後世に出た世界の文豪シェイクスピアの全作品に現れた語彙数よりも多いそうだ。
日本語の語彙の豊かさは「匂い」を元にして「やか」「げ」「さ」がそれぞれ独立した1語となる膠着語のおかげといってもよいようだ。
その膠着語は、現代語の中でもまことに多く使われていて、今でも独特な味わいを作っている。(下線は接辞の部分を示す)
(例)「さ迷う、小高い、お客、大御神、御代、真っ白、小川、さ霧、ほろ苦い、うら寂しい、うそ寒い、物珍しい、佐藤さん、春めく、
惜しげ、恥ずかしが(る)、年寄じみ(る)、華や(ぐ)、寂し(げ)晴れやか、そぼ降る、美しさ、ひた隠す、か細い、嬉しげだ、ま昼、深み、煙たい……」
また若者たちが使う「ぼかしことば」もズバリ膠着語の現代版といってよい。
食事などしよう
わたし的にはそれで良い
話しとかしようとしたら
彼は反対みたいだった
それなんか良いと思う。
(参考)類型論的に見た世界の主要言語
言語学(類型論)では、語(単語)を成り立たせている形として次の4つを上げている。
@膠着語
語(単語)が語幹と接辞の組み合わせでできている言語。(日本語、フィンランド語、トルコ語、朝鮮語、モンゴル語などが該当する)
A孤立語
文字の1つひとつが意味を持ち、語形変化がなく、文字が文中のどの位置にあるかにより文法機能が決まる言語。(中国語、タイ語など)
B屈折語
単語の内部変化や語尾変化に富み、性・数の制約が多く、語幹と接辞が融合していて切り離すと単語が成り立たない語。(ドイツ語、フランス語、イタリー語、オランダ語、ロシア語など)
C抱合語
動詞に主語が入りこむなどで、単語に分けにくい語。(アイヌ語、イヌイット語 (エスキモー語)、アメリカインディアン語など)
このほか、これらを複数持っていてどの分類にも当てはまらない英語のような言語もある。
Q 初めまして。私は、大学で日本語を勉強しているものです。
先日、教授から講義の中で「研究所」の読み方には「けんきゅうしょ」と「けんきゅうじょ」の2通りがあるが、それは何故かという課題が出ました。
調べている途中で、こちらのホームページに辿りつきました。
よろしくお教えください。(M.那美)
A ご質問の件は、当研究所が専門的に扱っているテーマではありませんが、お尋ねの件は次の理由によるものと考えます。
文部省が出した「当用漢字音訓表」(昭和48年6月18日、内閣告示)では「所」の音読みは「しょ」だけが正規の読み(通則)になっていますが、この告示では通則以外の読み方でも広く使われているものは、「慣用」または「例外」として使ってよい」ことになっています。
「じょ」はそれを根拠に使われているものと思います。
ことばのイメージ伝達を研究する音相理論の立場で言えば、「しょ」という音は明るく爽やかなイメージを作り、「じょ」は重たさや存在感を作る音ですから、そういう音相効果を考えで選ぶのが正しい方法と思います(木通)