5月の記事一覧
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5月の記事
・・・大衆は「音の良さ」を望んでいる
ネーミングの出来のいかんは会社の浮沈にかかわるため、企業では最高幹部を先頭に多数の人を動員し、長い期間をかけて行ないます。
その主な作業として、次のようなものがあります。
1、 新商品のコンセプトの整理
2、 ネーミング戦略の検討
3、 素案収集法の検討と、収集作業
4、 素案から候補案を選ぶ作業
5、 商標調査(おもに外部委託)
6、 候補案の絞込みと決定(意味、字種、デザインなどの検討)
7、 対外発表その他
だがこのような時間をかけたプロジェクトの中で、「大衆はどんな音を好んでいるか」という検討は、意味を検討する中で軽く「語感の良し悪し」ということばが軽く出るだけで、音についての分析や調査は手がけられないままで終わっているのが現状です。
しかしながら、すでに高い音相感覚を持ち、イメージに違いを自由に駆使して言語生活をしている一般の人々は、ネーミングの良し悪しは「イメージの良さ」によってほとんど決めているのです。
このことは、大衆に愛されている流行語や名ブランド名の音相を分析すれば明らかです。
また、人々の会話によって行われるネーミングの自然的な拡散効果も音だけで行われているように、ネーミングやことばにとって音が伝えるイメージの働きには計り知れないものがあるのです。
だが、それほど大事な「音」のことが、なぜネーミングの制作現場で検討されないのでしょうか。
それは「イメージ」には感覚的なものが多く含まれるため、それを解明するには複雑な音相理論の学習が必要となるからで、作業のしやすい昔ながらの方法がとられるにすぎないのです。
ネーミングはこうした環境の中で作られますが、いったん決まって社会へ出ると、大衆は意味や文字やデザインの良さではなく、音が作るイメージの良しあしで価値のほとんどを決めているのです。
送り手は意味や文字で考え、受け手は音が作るイメージで評価をする・・・このすれ違いが、ヒット・ネーミングの生まれない大きな理由となっているのです。
一と夏だけ売ればいいような短期的な商品なら、意味やデザインやキャラクターなどで一応の効果を上げることもできますが、長期にわたって使われる本格的なネーミングには滲み出てくるイメージの良さがなければならないのです。
意味的な配慮や工夫は1年もたてば忘れられてしまいますが、音が作るイメージは、永遠的な価値となって残るのです。
現代のネーミングに対するこうした疑問や発想が、企業のリーターたちから聞こえてこないのが不思議でならないなのです。
この語は、美しい意味と美しい文字を持ちながら、音の面では何となくぎこちなさを感じることばです。
この語の音相を分析すると、表情解析欄では 「充実感」「暖かさ」「優雅さ」など美的な表情を一応捉えていますが、「美しい肌」を表現するのに是非必要な「清らかさ」、「爽やかさ」、「清潔感」、 「明るさ」などがいずれもゼロ、またはゼロ・ポイントに近いものになっていますし、情緒解析欄には「曖昧、ためらい感、不透明感」があり、コンセプトバ リュー欄には「にが味、重苦しさ」などがあり、この語に含まれるネガティブ面をしっかり表現しています。
即ちこの語に美しさを感じるのは字面だけで、音が伝えるイメージは肌がざらざらになるような「醜」の面を持った語であることがわかるのです。
この語がテレビ、ラジオなどの聴覚媒体や、日常の会話の中でほとんど聞かれないのは、そういう一面をもっているからです。
だが、この語には厚化粧をした、けばけばしさがありますから、ポスターや印刷物など短期的な視覚媒体に使うのなら、ある程度の効果を上げることは可能です。
紀元前4世紀、ギリシャの哲学者へラクレートスが、一部の語音が伝えイメージについて述べた記録がありますが、この種の説はフィジズ説と呼ばれておりまし た。その後近代言語学が発達したのにともなって、意味論中の[象徴論]として扱われイメージは「心的映像」の名で研究がされています。
しかしこれらが対象とするものは、明白な特徴をもつ一部の音を捉えたでけであらゆることばのイメージを取り出すなどはできません。
わが国でも鎌倉時代、僧仙覚によって提唱され、その後江戸期に鴨真淵、本居宣長、橘守部などの国学者に引き継がれた「音義説」というのがありました。この 説は、[アは顕わるるさま][サは清らかのさま]など、五十音のイメージを捉えるものですが、「ア」のイメージを[顕わるるさま]と定義ずけると[穴]の 「ア」は証明できないし、「サ」の音を「清らかのさま」と定めると、[ドサクサ]の「サ」の説明はできなくなるなど多くの矛盾がありました。
これらの説の欠陥は、いずれもことばの表情を「音素」や「音節(拍)」という表面的な音の単位で捉えていないところに無理があったといえるのです。
ことばの表情を捉えるには、「拍」や「音素」の奥にある音の単位で捉えなければならないのです。
「拍」や「音素」を構成しているものとして調音種や音相基というのがあり、それらが固有の表情を作りますが、表情んいはそれらが響きあって生まれるものも ありますし、表情語同士の響きあいから生まれる「情緒]もありますから、これらのすべてを総合的に判断することで初めて「ことば」の表情は捉えられるので す。
このような方法でことばの表情を体系的に捉えたのが音相理論です。
1.詩歌の音楽性を解明した画期的快著
先生の「音相」理論は、これまで不毛だった日本の伝統的詩歌の音楽性の重要性を解明するための画期的な研究成果と存じます。
俳句の実作者としても、深く琴線に触れるものがありました。短歌や俳句では、音数律についての言語学的理論はある程度の進歩を認めますが、音韻的効果につ いては、折口信夫の『言語情調論』などはありますがまだまだ不十分にして、未だに「調べ」という曖昧な概念に甘んじているのが現状です。先生の「音相」 は、まさにそのあたりの本義を闡明するものと考えます。取り急ぎ、お礼まで。
> 「俳句スクエア」代表・五島篁風 (医師)
2、 感涙で読んだ音相理論
私は日本文化系の学科に通う大学一年生で、進学するかどうかも決まらない時期から、日本語の「聞いたときの印象」に大変興味がありました。しかし、それをズバリ扱う本は殆ど無く、見つけたとしても難解な学術書で、それを読みこなせるほどの力も知識もありません。
自分なりに五十音表などを作って研究はしてみましたが、さすがに客観的な説明も出来ずに悶々としている折、書店で「ネーミングの極意」を見つけ、心から感動するとともにほっとしました。
このような、形も無く説明するにもなかなか難しいことを、非常にきちんと研究なさっている方がいらっしゃることに、本当に感銘を受けました。
今までは「なんとなく」で終わり、不思議に思うけれども自分で調べるのは難しかったことが、音相理論として出来上がってきている、そして、それを解り易く紹介する本やサイトも存在している。凄いことだと思います。この時代に生まれて良かったなあと心から思っています。
私は、拙いながら趣味で文章を書く人間です。たったひとつのフレーズの違いが、全く違う印象となって立ち現れてくる凄さと怖さを、今まで何回も体験しまし た。また、登場人物の名前ひとつにしても同じことがありますし、プロの作家の方の作品でも、「イメージどおりの名前だなあ」と作品に没入することもあれ ば、「どうしてこんな名前なのだろう」と馴染めないときもあります。
その不思議な現象を解く鍵が具体的に説明された「ネーミングの極意」と音相システム研究所さんのサイト、どちらも興味深く拝読させて頂いております。もしも叶うなら、私は大学で日本語の印象についての研究をしていこうと考えています。
夢と感動をありがとうございました。これからも、サイトの更新や新刊の発行など楽しみにさせて頂きます。
(北海道 扶美)
(佐賀市、k,m)
A、ことばは人の体と同様、たいへん複雑な構造を持っています。それは人の体もことばも、「心」と深いつながりがあるからです。
コンピューターが取り出した分析表を読むときは、医者がカルテやデーターを読むのと同じような見方が必要になるのです。
すなわち、データーがとりだした数値だけに頼らず、その語が持っている背景や人々がその語に抱く心情などを勘案しながら診断(評価)するいことが必要となります。
医術でもことばでも、機械が取り出すデーターには、ときには本質とかかわりのない異物のようなものも取り出されることがありますが、それにこだわり過ぎると、実態や本質が見えなくなることが多いのです。
「あまり関係がない」と思えるものが、異物なのか、本物のデーターなのかを見分けるには幅広いことばの訓練が必要ですが、慎重にそれを判断しながら、本質とかかわりないと思えるものは無視することも、1つの大事な技術なのです。
都会の片隅の、忘れられたような水辺でも蛙の声が聞かれる季節となりました。
蛙は「かわず」とも呼ばれますが、どういう使い分けがされているのか辞書や俳句歳時記を調べて見たが、その区別を書いたものは見当たりませんでした。
だが人々は、遠い昔からこれらを感覚的に器用に使い分けて、微妙なイメージの違いを伝え合っているのです。
誰でも知っている松尾芭蕉の句に
「古池や かわず飛び込む 水のおと」
があり、小林一茶にも
「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」
がありますが、そのイメージの使い分けを見事に行っているのがわかります。
これらのイメージの違いを捉えてみようと音相分析をしてみたら、「かえる」という語の輝性(明るさ)は+B0,7、「かわず」の輝性は−B2.2と出ました。
音相分析法では、イメージの明るさをこのように+と−で捉えますが、その標準はことばの音の長さによって変わります。3音の語だと±B0.6が標準ですか ら、「かえる」はやや明るいイメージを伝える語、「かわず」は非常に暗いイメージを伝える語であることがわかるのです。
芭蕉がもし[かえる飛び込む水のおと]としていたら古池の不気味さや重苦しさは伝わらなかったでしょうし、一茶の「やせがえる」が[やせかわず]だったら、やせ蛙の細くて軽い感じは伝わらなかったことでしょう。
どちらの句も適切な音をもった語を選らんだことで、奥の深さを表現したすぐれた句であることがわかるのです。
昔の人は「音相」のことばは知らなくても、音相論と同じ感覚でことばを選んでいたことがわかるのです。
・・・意味としての語感、イメージとしての音相・・・
どちらの語も、ことばが持つ感覚的なものを指したことばですが、これらの間にどんな違いがあるのでしょうか。
言語学では意味論の中で、「意味」ということばには事物そのものが持つ意味(中心的意味、または指示的意味)と、直接的ではないが周辺的にもつ意味があり、周辺的な意味を「語感」と呼んでいるようです。
そして語感には
@意味的語感
(「感性」と「感受性」に見られるような、直接意味の違いにつながるもの)と
A感覚的語感
(「顔」と「お顔」のような間接的に意味とつながるもの)
があるといわれています。
どちらにしても、これらは「意味」とつながるものですから、「語感」は意味を中心に伝わる感覚と言ってよいでしょう。
これに対し「音相」は、初めに上げた「蛙とかわず][センスと感覚]のように、ことばの音の響きから生まれる雰囲気やイメージをいうのです。
それが捉えようとするのは意味ではなく、「表情」や「情緒」といえるものです。
Q.
私はある外国語大学(英米学科)のゼミで「音韻論」を勉強中の学生です。
「音相」を拝読して、“音のイメージ”に大変興味を持ったのですが、貴研究所では、英語の「音のイメージ」を研究なさっておりますか?
例えば、英米詩を勉強していると、作者は「弾むような気持ち」を表すために“r”を使い、「重たい感じ」を表すのに“b”を多様している・・・といった説明がよくあります。お忙しいところ恐れ入りますが、回答を頂ければ嬉しいです。
(神戸、M・あきこ)
A.
英語の音相に関する研究は当研究所の今後の研究課題の1つですが、まだ体系化されるまでに至っておりません。
だが、ご質問レベルのものは諸言語において共通するものが多く、今回お求めいただいた小著「日本語の音相」でも相当のページをそれにさいていますので、ご参考にしていただけるものと思います。
貴女のご研究の成果を、当研究所でも期待していますが、お暇をみて、読後のご感想などをお寄せいただければ幸いです。
ご健闘を祈り致します。
(木通隆行)
(このご投稿を受けて、同著の中で取り上げている次の一文を転載(要旨)いたします。)
日本語と英語は文字を単位で比較すると無関係のように見えますが、どの民族も同じように聞こえるはずの擬声語(オノマトペア)を、音素や調音種の段階で比較すると、そこには次のような明白な共通点があることがわかります。
動物の鳴き声に見られる音相的な共通点
日本語 英語
猫 「ニャーニャ−」 と 「ミューミュー」・・・・
【ともに鼻拗音(ニャ、ミュ)と長音でできている。】
犬 「ワンワン」 と 「バウワウ」・・・・
【ともに有声両唇音(ワ、バ、ウ)と母音アを多用している。】
鶏 「コケコッコー」 と 「コッカドゥードゥルドゥー」・・・・
【ともに破裂音(コ、ケ、カ、ド)が多く、母音にはオ・ウ音が多い。】
ひよこ 「ピヨピヨ」 と 「ピープ」(または「チープ」)・・・・
【ともに無声破裂音系(ピ、プ、チ)が多く、母音にはイおよびオ、ウ音が多い。】
烏 [カーカー」 と 「コーコー」・・・・
【ともに無声喉頭破裂音(カ、コ)ばかりででできている。】
このように一見無関係と思える音でも、音素や調音種の段階まで落として比較すると同系列の音から生まれたものであることがわかりますし、違いが生れるの は、言語ごとの音の使い方の慣習からくるものであることがわるのです。それは口腔内の筋肉構造の発達の度合いによることがわかるのです。
例えば、「コケコツコー」や「ワンワン」は、日本人にも無理なく自然に発声できますが、「ドゥードゥルドゥー」「ミューミュー」「バウワウ」などの音は、 大昔から日本人の発 音慣習になかったため筋肉が退化指定ていて言い難いため言い易い音にかえて使っていること大きく関係があるのです。
世界的に有名なブランド名がどの国でも同じように人気があるのをみても、ことばの音が脳内の聴覚野に与える刺激は基本的に同じ身体構造を持つ人類なら、ほとんど同質と見るのが自然な考えのように思うのです。
・・・・子供っぽさ、キュート感を作る音
(必要な音相基)
・無声破裂音系が多い
・無声化母音が多い
・イ音またはイ列音が多い
・無声拗音が多い
・総合音価がプラス指向
・高勁性
・高勁輝拍が多い
・少拍
(例語)
チョロキュー、パンダ、パチンコ、たいやき、ピーヒャラ、ピッコロ、ポンキッキ、
ピカチュー、ミルミル、プチ…
(注)
以上のほか、子供らしさを作る方法として、同音の反復語や畳語を用いる方法もあります。
(パパ、ママ、アンパンマン、カンカン、ピチピチ、ランラン、ブーブー、パチパチ、ハイハイする、よちよち・・・など)