8月の記事一覧
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8月の記事
表情語は裏からも読もう
選挙と共に、「マニフェスト」(選挙公約)という言葉が聞かれるようになりました。
この語は一見、モダンで軽やかで、とりわけ欠点のないことばのようにみえますが、使われ始めて2年たつのに「ニート」や「クールビズ」のような人気はありません。
このように人気がぱっとしないことばは、音の仕組みに問題があることが多いので音相分析をしてみました。
オンソニック体験版の表情欄でみられるように、「清らかさ、安らぎ感、充実感、現代的、清潔感、軽快感、信頼感、安定感、進歩性、新鮮さ、優雅さ」などが高点で並び「クリーンさ」を感じる反面、ネガティブ(否定的)なイメージを伝える音もいろいろ持っているのです。
すなわち、表情解析欄下位のところには選挙活動に欠かせない「庶民的、現実的、強さ鋭さ、特殊な感じ」がすべてゼロ・ポイントになっているし、体験版で省略してある「情緒欄」には「あいまい感、不透明感、不協和感、異常感」などが出ています。
大衆がこの語にパット飛びつかなかったのは、モダン、クリーン、公正感を表に出しながら、この語の音にこのような異質なものを同時に感じているからではないでしょうか。
その意味で、「マニフェスト」は「選挙公約」という意味が持つさまざまな概念を音響的に見事に表現している優れたことばといってもよいでしょう。(木通)
山本夏彦氏の『誰か「戦前」を知らないか』(夏彦迷惑問答・文春新書)を読んでいたら、「牛鍋」が「すき焼き」と言われるようになったのは昭和初年で、東京山の手の人達が「牛鍋」を大衆的で下品な言葉として嫌ったからだとありました。
東京山の手一帯に文化住宅街があちらこちらにでき始めたのは昭和初年で、そこは東京の知識階級の人が多く住む、モダンで明るい新開地でした。
その山の手の人たちが、牛鍋をなぜ「大衆的で下品な料理」と思ったのだろうか、「すき焼き」という語は生まれた背景などを探ってみようと音相分析を試みました。
「牛鍋」・・・
分析表の表情解析欄では「高級、優雅、安定、静的」などが高ポイントで並んでいて、
この語が上品で高雅な音で作られたことばであることがわかります。
牛肉は明治以前は庶民の口にはほとんど入らない高級食材だったようですから、当時の 人が『上品、高雅』な音で表現したのは極めて自然な選択だったと思います。
また、同著の中に「当時は獣臭を消すため味噌仕立てで食した」とありましたが、この
語は味噌がもつどぶつき感をオ、ウ列音や濁音や逆接拍を使って見事に表現しています。
そして「ぎゅー」とうい珍しい音を入れて新しさを出しているのです。
「ぎゅ−」の音は日本語では「牛」という字以外はどこにもない新奇でモダンな音だったの
です。
このように「牛鍋」は、明治の人の音相感覚の高さを示すに十分な優れたことばだった
ことがわかります。
「すき焼き」・・・
高級料理とされていた「牛鍋」が、昭和になって庶民の食卓に上るようになると、
この料理を明るくモダンな音で表現しようとする山の手のインテリたちの感性から
「すき焼き」が生まれたのです。
この語の表情語は、
「爽やか、個性的、現代的、開放的、庶民的、健康的、活性的」などモダンで明るく庶民的
な活力を感じる音が上位のところを占めており、「牛鍋」のトップにあった「高級感、優雅
感、安定感」はすべてゼロ・ポイントとなっています。「牛鍋」とは全く反対の語であること
がわかるのです。
このイメージの違いはどこから生まれたのか。
それは、牛鍋がオ、ウ音、濁音、逆接拍を多用したのに対し、すき焼きはイ音と無声破裂音を多用した中に、爽やかさを作る無声化母音(ス)を1音加えたことにあったのです。
山本氏によれば、「牛鍋が山の手の人に嫌われたのは「ぎゅ―」という音の不快さにあったのではと書いていますが、それは山本氏の主観的な判断が多分に入っていたように思うのです。
昭和の人々が望んだのは、上品で地味な音をもつ「ぎゅーなべ」よりも、モダンで明るい響きの「すき焼き」の方が昭和の時代にふさわしいと感じたからではないでしょうか。
ことばの音が作るイメージは、作家や作曲家など、どんな音の専門家でも個人の経験や好みからくる判断違いは致し方のないことですが、それを客観的な根拠によって論証できるのも、音相理論という旅の楽しさの1つなのです。
(音相研、研究員桂太)
夏向き飲料の代表格として古くから同じ名前で愛飲されているものに「三ツ矢サイダー」と「カルピス」があります。
三ツ矢サイダーが売り出されたのは明治四十年、カルピスは大正8年だそうですが、これら長寿のブランド名を分析すると、必ずそこに音相的な共通点が見られるのです。
この語はどちらを分析しても、表情解析欄の上位のところに、「爽やか、安らぎ感、健康感、清潔感、個性的、特殊感、シンプル…」など清涼飲料のネーミングにはなくてならない表情語が並んでいるのがわかります。
人々はこのような商品コンセプトにぴったり合った音をもつネーミングに、無意識のうちに共鳴し、親近感を抱くため、何時になっても若々しく新鮮な息吹をそこに感じるのです。
明治、大正時代に作られたもので、今でも古さを感じられないネーミングの例をいくつか上げてみましょう。
・実母散 ・沢の鶴 ・やまさ醤油 ・正宗 ・即席カレー
・えびすビール ・キリンビ―ル ・白鶴 ・花王石鹸
・牛乳石鹸 ・福神漬け ・毒掃丸 ・浅田飴 ・味の素
・龍角散 ・赤玉ポートワイン ・月桂冠 ・三越 ・松屋
・高島屋 ・松坂屋 …
こう見てくると、ネーミングの最後の価値を決めるのは、人の心に深く食い入る『音』の力といっても過言ではないようです。
日本人は外国語を日本語の中に取り入れるとき、外国語をそのままの形で受け入れず、日本語の言語風土を乱さない工夫をしながら受け入れてきました。
たとえば「ビュ−ティフル、ビジブル、ロマンティック」などの形容詞はそのままの形で受け入れれば、活用形をもつ日本語の形容詞に混乱が生じるため、これ らの語尾にっわざわざ活用(だ、で、に、な、なら、)をつけて使いました。すなわち外国語の形容詞は、形容動詞の語幹、すなわち「名詞」としてしか受け入 れていなかったのです。
日本語の体系を守り抜こうとするこうした傾向は、漢語の音韻の受け入れの際にも見られました。
「京」(チン)や「両」「リャン」という中国風の音韻はやまとことばになじめなかったため、「チン」は「キョー」(どちらも破裂音系)、「リャン」は「リョウ」(どちらも流音)のように、なるべく同じ系統の音を使ってて翻案しながら受け入れたのです。
このように工夫をしながら受け入れた外国語は、外国語にル−ツを持つ立派な日本語といってもよいでしょう。
先人たちはこんな方法で日本語としてもっとも大事な核である「語順」や「文法」や「音韻」などを乱すことなく、単語としてのみ外国語を受け入れて日本語の語彙を増やす工夫をしてきたのです。
このような、祖語に対する先人たちの見識の高さと、豊かな感性にはただ敬服するほかありません。
(木通)
秋風が立つころになると、卒業論文のネタ探しに何人かの学生さんがわが家を訪ねてこられます。
私の本から質問を携えて来る人や、漠然と音相論のあらましを聞きにくる人などさまざまです。
先日、訪ねてこられた人に私はこんな質問をしました。
「君は蛍ということばに、どんなものをイメージしますか」と。
しばらく考えていた彼から、
「清楚で、穏やかで、闇を明るく照らす、情緒のある昆虫」という返事がありました。
そこでこの語をパソコンで打ち出した分析表をお見せしました。
「君がとらえた4つのものは、分析表でも高いポイントで捉えていますが、君が気づかなかっ
たものを分析表はたくさんなものをとりだしています。
表情語欄には
D非活性的、E暖か、F清潔感、G軽やかさ。
があるし、情緒解析欄には、
H曖昧感、Iためらい感、Jクラシイク、K神秘的、L哀感、
M鄙びた感じ、N純粋さ、O素直さ、P夢幻的、Q普通でない感じ、
R孤立感、S寂しさ…
などです。
音相分析を行うと、ことばの中に含まれているさまざまな表情や、その語を取り巻く
オーラのようなものをこんなに多く捉えられることがわかるのです。
分析表を見てゆくと、個人が持っている「感性」の幅がいかに狭いものかがわかるので
す。」
こんな話からはじまることが多いのですが、そのあとに続く話は、残暑厳しきさ中ゆえご迷惑と思いますし、こちらも幾分億劫なので、またの機会といたしましょう。
(木通隆行)
「俳句スクエア」の主宰者で、医師としてもご活躍の、五島篁風(高資)先生とのメール交信のあらましを以下で転載させていただきました。
【五島氏】
早速「日本語の音相」をご配送いただきありがとうございました。
先生の「音相」理論は、これまで不毛だった日本の伝統的詩歌の詩的創造性における音楽性の重要性を解明するための画期的な研究成果と存じます。俳句実作者 としても深く琴線に触れるものがありました。短歌や俳句では、音数律についての言語学的理論はある程度の進歩を認めますが、音韻的効果については、折口信 夫の『言語情調論』などがありますがまだまだ不十分で、未だに「調べ」という曖昧な概念に甘んじているのが現状です。 先生の「音相」は、まさにそのあた りの本義を闡明するものと考えます。
【木通】
この理論は、日本語の音韻の奥深い実体を捉えてみたいと考え構築してきたものですが、著名な俳人で評論家でもあられる五島先生から、核心を捉えたお励ましのお言葉を頂き、心よりお礼を申し上げます。
ご説のとおり俳句や文学一般および言語科学の分野では、ことばの音のイメージは、いまだに「調べ]や「語感」という抽象的なことばでしか論じられておりま せんが、理論的根拠を元に、「イメージ」の客観的価値評価ができる手法を開発することと、現代を生きる人々が持っている感性を、より深いところで実感で き、表現できる手法について考えてきたものです。
【五島氏】
先生が「具体的な日常語のレベルでの体感とその表現」を重視されていることはまさに同感の至りです。短歌や俳句の表記は未だに旧仮名遣いが主流であり、私もその音韻的効果は確かに日本語の発生に遡る重要な役割を持っていることは充分に認識しています。
しかしながら、その一方で、現代仮名遣いにて教育された私たち戦後世代にとっては、やはり、幼少時に習得した現代仮名遣いによる言文一致が直覚的な詩的発 想に深く関与していることも事実です。前者では親から受け継いだ遺伝的要因の関与が考えられ、後者では幼少時においてまだ可遡性を有した未熟な脳神経の ネットワークが音声を介した言語システムに準拠しながら形成されていくことが大きく影響しているものと考えます。
芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせ よ」「句、調(ととの)はずんば、舌頭に千転せよ」と述べているのもやはり意味生成以前の音韻にもっと留意せよと戒めているのだと思います。 そして、あ くまでも知識としての言葉遣いではなく、実際に私たちの脳神経に刺激を与える、つまり、日常語における「音」による直覚的な体感作用こそが、やはり、その 時代における詩性にとって大事なのではと考えています。
【木通】
旧仮名遣いは、俳句の本源を捉えるうえで必須の基礎知識と思いますが、現代人が体感した心象を適切に表現するには、より実音に近い表記をとる新仮名遣いの方が優れていることが多いように思います。私もお説にまったく同感です。
現代人は[てふ]より[ちょう]と書いた方が、蝶の実感をより正確に感じ取る音相感覚を、誰もが持っているからです。「ちょ」の音は、無声破擦拗音という 音素でできているため「明るく、軽やかで、派手な」イメージを作る音ですが、現代人は「ちょ」と聞くだけで「明るく、軽やかで、派手な」ものを直感できる 脳神経のネットワークをすでにもっているのです。
そういう感覚を持つ人に「てふ」の字を「ちょう」と読ませることは返って
不自然さを増すだけで何の効用もないように思うのです。
日本人のこのようなことば感覚の進化にともなって、音に視点を置いた言語論として、音相理論の意義があるのではないかと思うのです。どうぞ今後ともよろしく、ご指導とお引き回しのほどをお願いいたします。
真夏の風物「サングラス」ということばを分析してみました。
(貴方も体験版でお試しください。)
表情解析欄を見ると、上位のところに 「躍動感、進歩的、清らかさ、爽やかさ、高級感、新奇さ、軽快感、現代的、都会的、若さ、活性的」が並んでいて、これだけでもサングラスが持つ大方の表情 を捉えることができますが、オンソニック体験版では省略してあるその他の欄をみてゆくと「複雑度が高い」、「情緒的」「普通でない感じ」「不思議な感じ」 「孤高感」のほか、年齢的には男女ともヤング層に好感のもたれる語であることまで捉えています。
音相分析が「サングラス」に内包されているほとんどのイメージが把握されているように思うのです。
また、このような具体的なイメージは、「全体の総合音価が高いこと」、「調音種比が高いこと」、「無声化母音が多いこと」「子音拍が多いこと」などの音相基が互いに響きあって生まれたものであることもわかるのです。(木通)
トヨタがアメリカ向けに高級車として販売していた「レクサス」を、近く日本に逆上陸させて、国内の高級外車のシェア奪取作戦に乗り出すそうです。
この語の音相分析をしてみました。
表情解析欄の上位を見ると、「爽やか」を筆頭に、「都会的、現代的、進歩的、躍動感、動的、安らぎ感」などクルマ名として表現したい一定の方向性を捉えた ことばであるのがわかりますが、このクルマにとってとりわけ重要な「高級感」を表現する表情語「信頼感、高級感、優雅さ、高尚さ」などがいずれも低位にあ ることと、20欄あるコンセプト中の19欄も表現しているため、せっかく高点部分で捉えた方向性がぼやける結果となっているのが気になります。
たくさんのコンセプトを表現したため、せっかく捉えた方向性がぼやける例は少なくありませんが、コンセプトは極力絞ることが印象的なネーミングを作ります。
また、体験版では省略してありますが、表情解析欄以外のところでは男女の若者層をとらえているし、流動感やスピード感も表現され、「高級感」に必要な複雑度も高点となっています。もう一歩のところまできた作品といえましょう。(木通)
Q. 外国語の音相理論は作れますか。(東京外語大、MM)
A.日本語で行ったと同じ方法で英語やドイツ語などの音相理論ができるかどうかを考えるとき、初めに考えなければならないことは、その言語で使われている音の単位、「音節(拍)」の数がどれほどあるかということです。
日本語は「あいうえお、かきくけこ」など濁音や拗音などを入れても、僅か138の拍でできていますが、英語の例で考えると拍数(音節数)は1800ぐらいあると言われたり、いや3000以上だ、人によっては1万以上という学者もいるようにまちまちです。
ことばの中で、概念として効果的に括れる「表情」の数はネガティブ語を入れても精々100そこそこですから、音節数が最低で1800以上もあると、1つ1 つの音節が捉える表情はきわめて淡く、曖昧なものになってしまうからです。音相理論は、音節(拍)数が手頃な日本語にしてはじめて実現できた理論だと私は 思うのです。(木通)
Q.「複雑」とはどういう意味ですか。(江戸川、ポンチャン)
A.「複雑」とは、単純に見合う概念です。単純は明白な表情をもっていて割り切りがよく裏のない状態を言いますが、それに対し複雑は、相反するさまざまな要素を同時に持っているため、表情は捉えにくくなりますが、奥行きや厚みを表現するために必要な環境を作ります。
人にたとえれば、前者は行動的で活達なタイプの人、後者は思索型または
情緒型の人と考えてもよいでしょう。(木通)