2月の記事一覧
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2月の記事
「おもろい」 は言うまでもなく関西地方の方言で、辞書によれば 「面白い、変わっている」 という意味だそうです。私は常々このことばに、庶民的で関西人らしい 「複雑な面白さ 」 のようなものを感じていましたが、体験版で分析してみて、そんなイメージがそっくり表現されたことばであることがわかりました。
「安定 感、優雅さ、暖かさ」 など 「静」 の面と、 「強さ、個性的、特殊感、シンプル、軽やかさ」 など 「動」 の表情語がごちゃ混ぜになっていて、しかもこれらのポイントの高さがほぼ一線で並んでおり、この表から明白な表情を取り出すことができません。このこと は、矛盾する表情のすべてを同じような量で持つ複雑な内面を持ったことばであることを示しています。
体験版で分析したとき、このような 表情の捉えにくいことばにぶつかって戸惑われたり、分析法に疑問をもたれることがおありでしょうが、意味的な奥の深さや複雑な内容をもつことばはほとんど がこのような表れ方になるのです。これは表を読む際の大事なポイントの1つといえましょう。
なお複雑ということばの意味は、単純とは反対の、奥の深さや、奥行きのあることばを言い、人に例えればいろいろなものの考え方ができる人、奥の深さをもった人といえましょう
「きれいに痩せよう」 という触れ込みで、アメリカからやってきた 「低カロリ−で栄養十分」 という飲料が、いま女性の間で大人気だという話を、中年にはやや早い女性から聞きました。
そのようなコンセプトを、この語の音がイメージとしてどの程度まで捉えているか、早速それを音相 「体験版」 で調べてみました。
表情語を高点順に並べると、中高年婦人の落ち着きや豊かさを表す 「静的」、 「安らぎ感」、 「高級感」、 「充実感」、 「優雅さ」、 「高尚さ」 を上部に置いて基調的なイメージを作り、続いて 「活動的」、 「現実的」、 「シンプル」、 「軽快感」、 「躍動感」、 「若さ」、 「溌剌さ」 など、健康的で明るい若い女性の心を捉える表情語を集めたことばであるのがわかります。
これらは、表情欄だけで捉えたものですが、体験版では省 略してあるその他の欄をみてみると、 「情緒的、 「不思議な感じ」 「女性が好む音」、 「スピード感」 「スポーティー」 などを高ポイントで捉えていて、きれいに、無理なく、楽しく痩せるというコンセプトが、親近感や信頼感ともなって伝わるのを感じます。
分別あるシニア、ミドルからヤングまで、女性の心を見事に捉えたネーミングといってよいでしょう。
西欧語はメロディ−を楽しみ、日本語はリズムを楽しむ。 私は、西欧語と日本語の違いをこのように感じています。 メロディ−を楽しむ西欧語では「韻を ふむ(押韻)」という手法が発達し、一つ一つの音が明白に聞きわけられる開音節語の日本語では、リズムを尊ぶ「音数律」が発達したように思うのです。
メロディ−を尊ぶ西欧語では音の長いことばにもとりわけ抵抗を感じないようですが、リズムを尊ぶ日本語では長いことばは喜ばれず、せいぜい6〜7音が限度 のように思われます。西欧では 「ジョンソン・アンド・ジョンソン」(11音) のように長い社名も気にならないようですが、日本では 「みつこし」 「ひたち」 「そにー」 のような短いことばが好かれます。
押韻には、はじめの音を繰り返す頭韻と、末尾の音を繰り返す脚韻がありますが、それを句ごとに置くことで流れの中に照応の美が生まれ、それが快感を作ります。
しかしながら、拍(音節)の末尾が母音で終わる日本語は、拍の存在が明瞭になるうえ、音の流れに変化を作る 「アクセント」 が強さを強調しない高低だけのアクセントのため、音の流れに美的な快感を作るには、 7・5調、3・4調、2・3調など音のまとまりが繰り返するリズム(音数律) の美に頼ることとなるのです。日本語の詩や文章で 「押韻」 の手法が発達しなかった理由がそこにあったといえましょう。
話の中で、 「…でした。…でした。…でした」 と文末に同じ助動詞を使うと、しまりのない日本語になるため、 「。…でした。…でございました。…ありました。」 と同じ助動詞を避けるのが美しいことばを作る大事なコツでもあるのです。
日本語の詩にも、ときどき韻をふんだものが見られます。
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里にきた 野にも来た
句の終わりがすべて 「来た」 になっていて明白な脚韻をふんだ詩であるにもかかわらず、この詩から受ける面白さは、3音と2音の繰り返しが作る音数率の方にあることを誰もが感じておられるのではないでしょうか。
「カッコイイ」ということば
この語を体験版で分析すると、表情欄の高ポイントのところに次のような表情語が並んでいます。
「特殊的、個性的、活動的、現実的、シンプル、庶民的、現代的、若さ…」
この語には「表面的な形の良さ」という意味やイメージがありますが、表情欄ではこの語が今風の、異常な賑わいや若さ、単純さなどをイメージさせる音を持っていることを伝えています。
また、この体験版では省略してありますが、情緒欄では「単純」、 「スピード感」 「若者に好まれる」など、この語が周辺に持つ雰囲気を正しく捉えていることも示しています。
このように的確な音を使って表現された流行語は、人々にいつまでも愛され続けてゆくことでしょう。
流行語は、誰かが何気なく使ったことばを、多くの人が「面白い」と共感することから生まれますが、このことは日本人の誰もが、ことばの音に同じような「音相感覚」を持っていることを意味しています。
そうしたう理由から、流行語は時代時代の日本人のことば感覚を計るバロメーターといってもよいのです。
ポルシェ (ドイツ車)
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ポルシェはヒットラーの厳命から生まれたといわれていますが、「スポーツカーのスペシャリスト」 「走る実験室」 「高速で走る精密機械」 などの異名も持つ、いろいろと話題の多い車です。
その魅力は機能的設計と乗り心地のよさにあるといわれていますが、このクルマのそうしたコンセプトを「ポルシェ」という音が見事に表現しているのがこの分 析表でわかるのです。表情語欄の高位のところでこのクルマの特徴といえる「爽やかさ」 「活性感」 「合理性」 「都会的」 「若さ」 「シンプル感」 「軽快感」 などをで捉えていますが、「活性感」 「シンプル感」 「軽快感」 という3つの表情語の響きあいから生まれる「スピード感」の表現などは、 音相技術上見事というほかありません。
また体験版では省いてありますが、コンセプトバリュー欄で男女とも 「ヤング、ミドル、ジュニア」 が好む音であること、「コンパクト感」 「スピード感」を表現した語であることなどを捉えています。
「体験版」にいろいろなことばを入れてみると、イメージの良くないことばやイメージが捉えられないことばに出会うことがよくあります。
音相論では、ことばは大衆が持つ平均的な感性の評価を経て、良いものが生き残る法則があると説いていますが、身近かにあることばを分析すると、良くないと思えることばが大変多いことに気づきます。
大衆の選択を経て存在しているはずのことばなのに、なぜこのように不良語が多いのでしょうか。
それは、次のような理由によるのです。
良くないことばが生き続ける一つの理由は、大衆が選択する機会のないことばが大変多いことです。
そういうことばとしては、小数の人たちだけで作ったことばや、理屈を先行させて作ったことば、例えば法律や医学をはじめ多くの学術用語など、それに企業が作るネーミング、政治的な配慮によって作られる都市や町の名などがこれに当たります。
これらのことばは大衆の感性などには関わりなく作られるものであり、当事者たちが変えない限りいつまでも使われ続けることばです。
良くないことばが残っている2つ目の例として、より良いことばが生まれないためやむなく使われていることばがあります。
死者の魂を鎮める歌という意味をもつ「鎮魂歌」という語は、意味やふんいきとは似ても似つかぬ明るく華やかな音を持っていますし、スポーツ用語らしいス ピード感や軽やかさを持たない「野球」 「打者」 「投手」 「捕手」 「犠打」なども、より良いことばが現われないためやむなく使われていることばで す。「野球」を英語に変えて「ベースボール」にすると音の数がふえるため、かえってスピード感がなくなるから、意味的にも奇妙なことば「野球」が、明治以 来使われ続けているのです。
不良語が消えないもう一つ大きな理由として、ことばが麻痺現象を持つということです。
あなたも多 分ご経験のことと思いますが、新しいことばを聞いたとき、直感的に「何となくしっくりこないことば」と思ったのに、使い続けて行くうちにさほど気にならな くなり、やがて気軽に使うようになるという現象です。良くないことばがなくならない最大の理由は、この麻痺現象にあるといってもよいようです。
関西淡路大震災が起こった10年前の1月17日、西宮市北口町の繁華街も一瞬にして瓦礫の山と化しました。その惨状に立った商店主たちは、よりよい繁華 街への復興を誓い合い、同じ場所に仮店舗を建設することとなりました。そして間もなく『ポンテリカ』という名の仮住まいの商店街ができました。
ポンテリカとは、カリテンポ(仮店舗)を下から読んだことばです。
悲惨と混乱のさ中にあって、逆さ名前を考えるユーモア感覚と心のゆとりはさすが関西人と、ただ敬服するほかありません。
この語の音相をオンソニック体験版で分析すると、当時の商店街の人々の明るく立ち上がろうとする雄雄しい心根が、見事に表現されているのがわかるのです。
・適応性 ― くよくよしても始まらない、災いを福に転じて前向きにとりくもう。
・都会性 ― これまで以上に都会的な街にしよう。
・活性感 ― この災いを、元気一杯乗り切ろう。
・暖かさ ― 暖かい心で団結しよう。
・合理性 ― 着実に、情に溺れず進めよう。
・軽快感 ― 軽やかに、行動的に。
・明るさ ― 明るく笑って乗り切ろう。
阪神とは遠い地に住む私ですが、この分析表をみると、当時の現地の人々の復興に対する切なる思いと、関西人らしい根性がひしひしと伝わってくるのを覚えます。
現在では本建築の立派な商店街になっていて、「活力、明るさ、団結」の思いで作ったこのネーミングは、今ではもうふさわしくなくなっているかもしれません が、あの大震災の記念碑として、また関西人の根性とユーモア感覚の証(あか)しとして、永久に残しておきたい名前です。
「メチャメチャ嬉しい」 「メチャ可愛い」など、何かを誇張するときに使われる副詞「メチャ」は、今でも新鮮な響きをもって使われていますが、この語の人気はどんなところにあるのでしょうか。
その理由が何かを、オンソニック体験版で捉えてみました。
上位の表情語には「庶民的、派手、単純、爽やか活性的、現実的、軽さ、若さ」などがあり、この表には出ていませんが情緒欄には 「スピード感、ユーモア感、冷たさ、若者的」 などを捉えていて、現代の若者が持つ雰囲気を極めて的確に表現した語であることがわかります。
優れたことばとは、このようにその語がもつ実態(内容)を、それにふさわしい音の響きで表現している語のことを言うのです。
さらにまたこの語はそういう若者たちの心象を、たった2音で表現しているところに今1つの旨さがあるのです。イメージが伝えるインパクトの強さは、音の数 が少なくなるほど強まりますから、前記したイメージをこの語は極めて強く表現しています。そこに、更なる魅力と面白さがあるのです。
最近、ことばの音に関心を持つ人が多くなりましたが、そんな風潮にあやかって「ガ行音」は子供が好む音、「マ行音」は母性的な音など、一つひとつの音(拍)に固定的な表情をあたえ、だからこの語にはこんなイメージがあるなどと説く人がいます。
ことばの表情(イメージ)をこのような安易な方法で捉えると、時には手っ取り早く素人を納得させられるような結果がでることもありますが、多くの場合まや かしに使われることの方が多いのです。このような説明は人々にことばを記号としてのみ認識させ、「ことばの奥の深さ」を考えさせないようにする麻薬のよう なものだといってもよいようです。
1つひとつの単音は、10も20もの異なるイメージ(表情)をもっています。
たとえば摩擦 音の「S」の音は「@清らか、A爽やか、B健康的、C清潔感、D静的、E非活性的、F奥行き感、G暖かさ、H安らぎ感、I穏やかさ」など幅広い表情をもっ ていますが、その「S」が他の音(たとえば破裂音など)と響き合うことによって、これらの中のどれかが顕在的な表情となるという仕組みがあるからです。
そのため、ことばの音に限定的なイメージづけを行うと、かならず矛盾が生まれ、理論の信憑性が問われることになるのです。
江戸時代に栄えた音義説が近代言語学の出現によって消滅したのも、「『あ』は現れるさま」 など『あ』という音がもつ表情の一部だけを取り上げていたため、理論としての疑問がもたれたからでした。