10月の記事一覧
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10月の記事
……Onsonic体験版で感性を磨こう……
体験版で「おもろい」という語を分析してみてください。
表情解析欄の上位の部分には「安定感、強さ、個性的、優雅さ、シンプル、
非活性的」など、方向のまるで違った表情語がいろいろあって、それらの中から
まとまったイメージを取り出すことができません。
だが、そのようなチグハグなことばたちが「複雑度」欄の「非常に複雑」と
響き合うことによって標準語の「面白い」とは一味違う、「なにかありげな面白さ」
という関西弁独特のことばが生まれてくるのです。
体験版に取り出されたものをそのまま鵜呑みにしてはいけません。
分析表の奥に隠れているものを捉える工夫が大事です。そこから音相分析法の
深さと面白さが見えてくるのですが、それにはこの体験版で多くのことばを
分析して、感性を磨かれることが必要です。
「美しい日本語」とは何かを明らかにしたものはなく、
この語は極めて観念的なものにすぎないが、あえてそれを明らかにしないと、
この課題ととりくむことはできない。
そこではじめに、私の主観をもとに「美しい日本語」についてその枠作りを
してみたいと思っている。「美しい日本語」を捉えるには、「美しくない日本語」を知ることのよって明らかになるように思われる。私の経験から「美しくない
日本語」として次のものが上げられるように思われる。
1.言い憎い言葉。
2.音響的に無駄がある言葉。
3.言葉の音響が意味的内容(コンセプト)を適切に表現していない言葉。
すなわち、美しい言葉について論ずるにあたっては、これまでほとんど不問に
付されてきた「語音」の面からの取組みがない限り「美しい言葉」の実体を
捉えることは不可能のように思うのである。
美しい言葉についての議論はこれまで多くの人によっておこなわれてきたが、
常に不問に付されてきたのが「語音」との関係からみた評価ではなかったかと
思われる。
だが、大衆の音響感覚が高度に発達した現代において、音との関係を無視し
て言葉の評価は成り立たない。現代語について、ラ抜き言葉や鼻濁音の消滅現象
が種々言われているが、現代語において「食べられる」を「食べれる」となるのは、難音感を救済するうえで必要な措置であるし、また1音でも省略しようとする日本語の音用慣習から生れた必然のものなのである。1および2からの救済策として必要なものであったのである。
また、鼻濁音の消滅現象は、日本語の 性化(最近の音用慣習である語音を
強める傾向)がもたらした必然のものだといえるのである。
情緒とは、怒り、惧れ、喜び、悲しみなど、感情の動きを誘いだす気分(mood)や雰囲気をのことをいう。
情緒の定義は、心理学には諸説あるが、レベルの高い感情と言われる「情操」(sentiment 仏)に近いと考えてよいようだ。
表情が感情の一次的な表現形態であるのに対し、情緒は主として表情を複合化することで生まれてくる。
日本語は
・ウラルアルタイ語族
・開音節語
・膠着語
・漢字平仮名カタカナ、混じり語・・・
だが、それらはどれも、日本語だけのものではない。
「日本語には特徴などない」という学者もいるが、これらの組み合わせでできた語は日本語しかないのだから、それが日本語にしかない立派な特徴だといえる。
さらに日本語には次ぎのような特徴がある。
(1)純粋性(外国語は寄せ集め)
外国語の受け入れ姿勢(必要なもののみ受け入れた)
文法、語順、音韻など、言語の基幹となるものは無影響で、ただ語彙の数が増えただけ。また、語彙も名詞として受け入れただだけで、活用などとも無影響だ。 ( 「ロマッチック」な )
(2)合理性(論理性) (活用の無例外)
日本は、他民族の制服を受けていない。…他言語、他文化の流入が少ない。
活用が定格的(go went gone put put put take took taken )
そこに日本語の固有の味わいと深さ、個性があるのだ。
(不合理なもの・・・敬語のみ)
日本語が純粋で科学性の高い言語だからこそ、ことばの「音相」が捉えられたもの。(他言語では発想自体不可能だった)
日本語から生まれたこの理論を外国語に適用させても多くの部分が通用する。
それは、世界中の言語の多くがその相当部分を占める感性面において共通すると
思えるからだ。それは、外国の有名ブランド名が万国どこへ持っていっても・・。
日本人は、「さわやか」ということばを聞くと、意味とは別に清らかで
すがすがしいものを感じるし、「でこぼこ」ということばからは、ゴツゴツした
不安定なものを感じます。ことばには、このように意味とイメージを同時に伝える
働きがあるのです。
人の名もことばの一つですから、健太という音には誰もが庶民的で行動的な
明るい子を想像し、「優花(ゆか)」からは、「暖かく優しい中に、きりっと
した女性」を、「みさき」からは明るく活発な女性をイメージします。
●「名は体をあらわす」
音が伝えるこのようなイメージは、日本人の誰もが同じように感じている
ものですが、毎日何十回となく同じ名前を呼ばれて育つと、人はその音を
自分自身と意識するようになり、やがてその音のもつ音相がその子の雰囲気
となり、それが性格の中へと入ってゆくのです。
そのため名前の音を分析すると、政治家には「バイタリティー、社交家、
明るい」などの表情が多く出ますし、芸能人の名を分析すると「派手、社交的、
個性的」などがたいへん多く出るのです。このことを昔の人は、「名は体を
あらわす」ということばで使っていました。
このように、名前の音はその人の基本の性格を作りますから、赤ちゃんの
名前をつけるとき、その音相の調査は欠かせてならないものになるのです。
その子を「明るく、健康で、社交的」な子にしたいなら、「明るく、健康な
感じの音が必要ですし、「冷静で活動的でバイタリティー」のある子に育てたい
なら、そういう音の入った名前をつけてあげねばならないのです。
そういう音はどうして探すのか。それは、破裂音、摩擦音、有声音、無声音、
逆接拍,順接拍、無声化母音などの組み合わせによって生まれますが、
このことは、複雑な音相理論の説明になるのでここでは省略します。
決めるコツ
××株式会社にするか、それとも株式会社××とするかの判断には、
(これを前株、後株という)
難音感が生じるか生じないかに関わるため、音相分析によって
はじめて正しい判断ができる。
例えば「大久保」を前株か、後株かとした場合、
「株式会社大久保」にすれば難音感を感じない。
前株か後株かの判断は、一般では感覚だけで決められるが、
音相論を用いれば明白な根拠をもとにその正否が明らかとなる。。
次のような質問がありました。
Q音相は宗教とどうかかわるか。
ウエブページと著書「ネーミングの極意」を、とても興味深く読みました。
普段から気になっている、次のことを教えてください。
1、経典や題目や読経はなぜ人をひきつけるのか。それは宗教的言語の持つ意味、
内容よりもむしろ音相が人を惹きつけているのではないですか。
2、宗教の科学的根拠は現在も明らかにされていませんが、
(されるべきものでないのかもしれませんが)、音相はその根拠になりえますか。
(広島県立大学生物資源学部4年 山本以智人氏)
A 宗教を知る手がかりとしての音相論
キリスト教マタイ伝の冒頭にある「太初(はじめ)にLogos(ことば)あり、
ことばは神なり」はあまりにも有名ですが、真言宗の開祖、空海もことばは
物の本質を捉えるという言辞融即説を説いていますし、仏教やコーランを
はじめほとんどの宗教がことばと神の関係を説いているようです。
わが国にも佛教が入る以前から「言霊」(ことだま・・・ことばには魂が宿る)という
思想がありました。
宗教がことばとどのように結びつくのか、これをことばで説明することは
難かしいでしょうし、おっしゃるように明らかにする必要がないのかも知れま
せん。これについて、宗教学者鎌田東二氏はこのことを次のことばで述べてい
ます。「呪文にはそれぞれ意味があるが、その意味を正しく知る人はほとんど
いない。だがそれで良いのではないか、そういうところに呪文の意義があるの
ではないか」と言っています。宗教のことは何も知らない私ですが、このことば
を私は勝手に次のように理解しています。
「音声は意味以上に人の心を支配し昇華させるものである。お経やお題目は
意味がわからなくても、声に出してそれを読み、音のメロディー、リズム、
ハーモニーの美を漂ううち、天地のあらゆるものが理解できる心境が作られる。」と。
そう考えると、初めに述べた聖人たちのことばに一歩近づいた理解ができるよう
に思うのです。
ことばのイメージを解く場合、解析者個人の主観や好みが入っていたら
何の価値もありません。私が音相理論を構想する際に何よりの課題は、
いかにして私個人の主観や好みを排除するかということでした。
そして私は、次の方法でそれを克服することを考えました。
日本語の音相を捉えるには、まず調査することばを探さなければなり
ませんが、その対象語に古代以後、現代でも使われている日本語の祖語
「やまとことば」(和語)系のことばだけを選んだことでした。
やまとことば系だけを選んだのは、日本語の音相を客観的にとらえるには、
現代語の単語の50%以上を占めているやまとことば系で捉えるのが最良と
考えたからでした。やまとことば系は、何万年も前からこの島に住んだ
数十億、いや100億以上の日本人の感性の中から生まれ、それに合わない
ことばは陶汰(とうだ)されているはずです。
今も使われているやまとことば系のことばは原則的にそんな試練を経て
生き残っている語と思えたからでした。これほどの母集団を持つ統計は、
統計と言うより無上の価値を持つ科学的データーといってよいでしょう。
そして、やまとことばの語の中から、「感情」を持つ語だけを取り出して、
その感情の傾向と、そこで使われている音の関係を捉えるのが最良の
方法と考えたからでした。感情語を取り出す作業には、市販の国語辞典を
使いましたが、感情のある語かない語かは、いくぶん見方を変えると大き
な違いもでてきます。そのため「感情」の定義の幅をさまざまに変えるなど
して、調査を繰り返した結果、1289語の感情語を確定することができたの
です。
このような方法をとることにより、私個人の好みや主観はまったく入る
余地はなくなるのです。
音相論はこのように科学性を重視するところからスタートした理論です。
(H16,10,2、木通隆行)